吉田戦車の描く料理にシンパシーを感じる。何がすごいのかよくわからないのだけれど、そこには不思議な引力が確かにある。ぱっと見たところ、さして美味(おい)しそうでもない「ちくわ弁当」なのだが、彼のエッセーを読むとなぜだか口の中では唾液が勢いよく分泌される。なぜなんだ!?

自分だけの箱庭のようなもの

吉田戦車の『逃避めし』(1)とは、原稿の締め切りが近づくと疼く逃避の虫が作らせる創作料理だ。咳をしても1人の仕事部屋。はやく漫画を描きあげねばと切迫が増せば増すほど、吉田の料理的想像力は跳ねまわる。「こんなことしてる場合じゃないだろ、俺!」という後ろめたさと、担当編集者に申し訳ないという罪悪感が逃避めしを作るうえでの最高のスパイスだ。

ひとり男が台所に向かい、つくりだす料理は「トマト納豆」「塩ラッキョウ カレーライス添え」「春キャベツと焼きハム」「冷やしキュウリラーメン」「目玉焼きそうめん」などなど。どうですか? 何かぐっときます? こない? いやいや、まあ待たれい。彼の逃避めしには、その料理名を聞いただけではわかりえない深淵さが眠っているのだから。

もちろん、それぞれの料理にこだわりはある。例えば「塩ラッキョウ カレーライス添え」は辰巳浜子の名著『料理歳時記』(2)にあった一節が起源なのだという。「ラッキョウと塩によって自然にかもし出された酸味」という文章を読んだ20歳そこそこの吉田がずっと胸にしまっていたこの料理。だが、この逃避めしのすごさは、その美しい記憶を現実が大波のように呑みこんでしまう無惨さにある。近年、彼がラッキョウを漬け始めたきっかけは「レトルトカレーのグレードアップ」のため。1キロも購入し、丁寧に皮をむき、塩水に漬けこみ作った塩ラッキョウ。それを中心に据えることで、見事にレトルトカレーがちょっとしたレトルトカレーになるではないか。果たして辰巳浜子は泣いているのだろうか? よろこんでいるのだろうか?

ちくわの穴の空虚にスピリチュアルな栄養素を発見し、「手を抜けるだけ抜くことがうまさにつながる」納豆オムレツで、プロの料理に対抗心を燃やす。主役の春キャベツを劉備玄徳とよび、引き立て役のハムは諸葛孔明と名付ける。料理の常識や良識から遠くはなれて、ひとりその台所というフィールドで真剣に遊ぶ吉田戦車。

そう、逃避めしは自分一人のための料理だ。みてくれも、味の偏りも、気にしない。すべて自分のためだけにつくりあげる箱庭のようなもの。料理というものが「誰かのために」という文脈で語られることが多いのに対して、このわがままさと、ていたらくの極みは異端であり、食の本の突端ともいえる。兎角、自分のわがままが聞き入れられる場所なんて、齢を重ねて背負うものが増えるほど、どんどん小さくなってしまう。そんな哀しみをぶつける心のネバーランドを彼の逃避めしにみつけてしまうのだ。

「あるものでなんとかする」美徳

一方、同じく吉田戦車が現在連載している『おかゆネコ』(3)は、小さなビール会社の営業マン・菊川八郎のために毎度ネコがおかゆをつくるというマンガだ。「しゃべり病」という奇病にかかったツブという名のネコが主人公。動物が突然しゃべり出し、知能も人間並みになるというのだから、わけがわからない。そのツブが偶然居候することになった八郎は30代の独身男性らしく、不摂生を重ねまくっており、当然のことながら料理らしいものもしていない。朝食もまともに摂らず、過労もたたってバタリと倒れ込む八郎。そんな時、ツブは八郎にいうのだ。「おかゆでも煮てやるよ!」

逃避めしとの共通項を挙げるなら、「あるものでなんとかする」美徳だろう。床に落っこちていた乾物の干しタラをみつけ、タラに含まれるグルタチオンという栄養素について語りながら「干しタラかゆ」を完成させるネコのツブ。完成した熱々のかゆを、ふーふーとしながらおもむろに八郎が口にかきこむと...、「しょっぱ!!」。そう、猫舌のツブには味見ができなかったのだ。

その後、ツブはネコの爪切り名人の多田課長に爪をケアしてもらい人間並みの器用さを獲得。相変わらず味見はできないものの、次々と新たなるおかゆを作って、八郎や周りの面々の健康的ピンチを救ってゆく。ドラえもんの4次元ポケットが、ツブでいうならおかゆを煮る鍋といったところか。海苔と冷や飯をやや多めの水で煮る「海苔のおかゆ」や、甘じょっぱさが絶妙な「クルミのおかゆ」、冷え性に効く「紅ショウガのおかゆ」など、実際につかえそうなおかゆレシピが満載である。

後半からは「カツ丼のおかゆ」や「魚肉ソーセージのおかゆ」など、吉田戦車的創作料理も登場。今後のツブのおかゆ道が楽しみである。まあ、きっと吉田のことだから、「今そこにある何かで」思ってもみない美味しいもんを作り出すのだろう。高級食材やらオーガニックなんて言葉には目もくれない。

いま一番自分が食べたいものを、自分の内側をよくよくのぞきながら、ひょいとこしらえる。万人受けしない料理って、じつは一番贅沢なごはんなのかもしれない。

幅 允孝

(1)それぞれの料理に、吉田戦車独自の写真とイラストが付いた一冊。やらなければならないことに背を向けて作られる料理には、孤独や哀愁の味がにじみ出ている。追いつめられた中で生まれるクリエイティビティーは、あらぬ方向に発揮されるのかも知れない。イースト・プレス、1460円。
(2)四季をめで、その旬の素材を活かした料理が並ぶ『料理歳時記』。著者の辰巳浜子は、料理研究家の辰巳芳子の母にして、日本の家庭料理の祖とも呼べる人物だ。巷に溢れるレシピの洪水にのまれそうになった時、僕たちの帰る場所として確かに存在してくれる一冊。中央公論新社、760円。
(3)微妙な味や、ちょっと失敗とも言えるおかゆも登場してくる本書。しかし、「こうしたらうまいのでは」と試行錯誤しおかゆをつくり続けるツブには、どこか羨ましさも感じる。ちなみに「ビールおかゆ」については、吉田戦車いわく「あ、試さなくていいです」とのこと。小学館、780円。

『SANKEI EXPRESS』2013.12.24 に寄稿
http://www.sankeibiz.jp/express/news/131224/exg1312241830006-n1.htm