あなたは「プレイス・ハッカー」という言葉を知っていますか? 僕は初めて聞いたのだけれど、それは現場侵入者集団と呼ばれ、都市部のあらゆる立ち入り禁止区域に潜入する者たちのことを指すそうだ。彼らは、日々僕らが通り過ぎている都市の隙間に忍び込み、誰も見たことのない風景に感嘆する。そして、その景色を写真に撮り、ウェブを通じて世界中の人々と共有するのだ。

隣にある未開の場所

 この『「立入禁止」をゆく』の著者、ブラッドリー・L・ギャレットは、その行為を現代の「都市探検」だという。世界中の都市部が均質化し、一方で安全に変わりゆくなかで、グローバリズムの蛍光灯では照らすことのできない暗がりに足を踏み入れることは、いまの時代の大冒険なのだ。クリックひとつで地球の裏側の「ストリート・ビュー」を眺めることができるご時世に、未開の場所がすぐ隣にあるとは、誰もが忘れていた事実だった。

 破棄された産業用地や閉鎖された病院、使われていない軍事施設、下水道、地下鉄、建設現場、高層ビルの屋上など、彼らが無断侵入する場所はじつに多岐にわたる。基本的に、彼らが持っているのは、政治的な主張ではなく好奇心だ。誰も見たことのないものを、見てみたい。過去何世紀にわたり続けられてきた冒険者たちの旅と、「プレイス・ハッカー」たちの初期衝動に大きな差はない。かつての探検家は未知なる大陸に想いを馳せ、現代の都市探検家たちは警備員の脇をこっそりすり抜けて、秘密の場所の写真を撮ることで、自分たちが知らずに失っていたものを取り戻しているという実感を得る。

 この本には、大きく2つの柱がある。ひとつは著者のギャレットが都市探検家として、8カ国で300回以上繰り返した無断侵入の物語。そして、もう一方では、アメリカで生まれ人類学や考古学を学んできた博士としてのギャレットが、民族誌学者的に「プレイス・ハッキング」の意味を考える。

 イギリスで最も悪名高きプレイス・ハッカー集団、ロンドン・コンソリデーション・クルー(L.C.C)の一員だったギャレットの「都市探検」は、僕たちの想像を上まわるものだ。

 ロンドンブリッジ近くに建設中のヨーロッパ最大の超高層ビル「ザ・シャード」。夜中の警備員が少なくなる時間を見計らって、彼らはそこに侵入を開始する。腹ばいの低い姿勢で警備員小屋の真後ろを通り過ぎ、中央階段に向かう。階段を一段とばしで急いで上がるが、相手は途方もなく高いビルだ。30階を過ぎると汗が止まらなくなり、50階に達する頃にはふくらはぎが悲鳴をあげる。70階までくるとセメントの階段が金属製に変わり頂上の到来を予感させた。建築途中の最突端、76階への登頂を成功させたギャレットはそこにあったクレーンの釣合錘によじ登った。あまりにも高所のため地上で動くものは何一つ見えないし、街の喧騒も聞こえない。そして、彼は街を走る光の線を水系のように感じ、ただただ風の音を聞くのだった。

「すべて探検しろ」

 イギリスのケント州ロチェスターに打ち捨てられたソ連の潜水艦やサリー州の精神病院跡など、廃虚への潜入が多かったL.C.Cの黎明期を経て、彼らは都市部への興味を深めていった。巻末の「プレイス・ハッキング」の専門用語集に詳しくあるのだが、高度な潜入技術や調査、チームワークを必要とする最も困難で危険な侵入を「聖杯(holy grail)」と呼び、誰も見たことのない美的魅力のある場所を「叙事詩(epic)」と彼らは名付けた。

 特にロンドンの地下には「聖杯」級の場所が多々あるようだ。世界のどんな交通網よりも多くのゴースト駅が存在するその穴蔵は、さまざまな歴史に彩られている。1994年に閉鎖されたオールドウィッチ駅は多くの駅と同じように第二次世界大戦時は防空壕(ごう)として使われていたが、古代ギリシャの神殿を飾ったエルギン・マーブルをはじめとする多くの大英博物館収蔵品が避難していた場所なのだという。そして、1972年型の木の床張り列車が訓練用に恒久停車している摩訶(まか)不思議な空間だ。彼らは侵入に成功し、「EXPLORE EVERYTHING(すべて探検しろ)」と書かれた小さなステッカーをその場に貼った。そして、ロンドン地下鉄の未知を制覇していくのである。

追い続けた「亡霊」

 ちなみにきちんと触れておくなら、彼らの活動はもちろん違法行為である。小さな好奇心からスタートしたギャレットの「都市探検」だったが、多くの場所に潜入しているうちに、仲間が生まれると同時に対立するチームもできてくる。潜入に関する発表の是非で議論し、自身らの探求がどこに向かうべきなのか頭を悩ませる。そして、ギャレットがあるテレビ番組に出演したことをきっかけに、「プレイス・ハッカー」の存在が急に白日の下にさらされるのだった。

 秘めたる物事を秘め事として、匿名性のなかで扱っていたうちはよかった。だが、ギャレットのもうひとつの顔、研究者としての側面が、その行為を社会の中に放り込むのだ。大きな反響を呼び、多方面からの集中攻撃を受けた彼は、2012年8月17日にヒースロー空港でイギリス交通警察に逮捕された。そして、メディアの見せ物になってしまう。湧き上がる論争。そんな中で渦中のギャレットが、都市や未知について何を思い、どう行動したのかは実際に本書をひらいて確かめてほしい。

 21世紀の新しい都市論は、汗まみれになりながら導き出された懸命の思索だ。彼らが追い続けた「亡霊」が本当の意味で何だったのかを考えれば、読者も住む街との新しい関係をさがせるに違いない。

幅 允孝

「『立入禁止』をゆく」(ブラッドリー・L・ギャレット著/青土社、4536円)

『SANKEI EXPRESS』2015.1.13 に寄稿
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150113/exg1501131550006-n1.htm