『シェフを「つづける」ということ』という本を読んで、思うところが多々あった。

この本はレストランや生産者など「食」にまつわるライティングをしている井川直子が15人のシェフを取材したもの。しかも、10年以上前にイタリアで取材した日本人コック15人の現在を描くという、長期熟成型のノンフィクションだ。

そもそもは2002年の春、イタリアで料理修行する日本人たちを追いかけた取材が本書の始発点。1990年代後半から2000年代前半に海を越えた多くの若い料理人たち。就職に関しては超氷河期といわれ、バブルの残り香さえほとんどない閉塞していたあの当時に、彼らはイタリアを目指した。ちょうどサッカー選手の中田英寿がイタリアのリーグ、セリエAで華々しい活躍をしていた時代とも重なる。さまざまな分野でグローバル化が進み、近くなった海外へ、ある者は強い野心を抱いて、またある者はリュックひとつで身軽に飛び出したのだ。

イタリア取材から12年

当然のことながら、それによって起こるのは、イタリア現地における日本人の飽和状態。当時のことを井川は日本人が「うじゃうじゃいた」と語り、シェフ以外は全員が日本人という状況も珍しくなかったらしい。そんなあまたいる料理人の卵たちの中でも、自身の「核」を強く希求する若者に井川はひかれ取材を重ねた。そしてできあがったのが『イタリアに行ってコックになる』という一冊の本。上梓したのは2003年のことだった。

それから時間が流れること12年。日本の外食事情も大きく転換してきた。そんな状況下、10年前のイタリアで夜明けを待っていた若者たちがどんな道のりを駆け抜けたのか。そんな彼らを再訪するのが本書の骨子だ。そして、その曲がりくねった彼らの料理道には、陳腐なフィクションを上回るようなドラマがあふれているのだ。当然のことながら、皆が成功してスターシェフになっているわけではない。だが、読者にとってまったく知らない料理人の歩み、彼らの挫折や苦悩やささやかな悦びが、読み手の心と胃袋に響いてくるのだからたまらない。

日本最年少の三つ星シェフとなった福本伸也がバレンシアの厨房で胸ぐらをつかみ合い大げんかになった話は壮絶。しかも彼は帰国後、母の介護をするため料理そのものから離れざるを得ない状況も経験していた。

9年もイタリア修行を続け、現地で日本人初の一つ星を取った堀江純一郎は転んでもただでは起きない男。自称、天邪鬼が「面白い」と向かった奈良の地で、当時流行した地産地消とは真逆のスタイルをどう確立させたのか?

「非ヘルペス性辺縁系側頭葉脳炎」という脳にウイルスが侵入する病気になり障害を抱えることになった伊藤健は、自身のことを「運がいい」と言う。恥ずべきは「挑戦しないこと」と語る彼はいま、車椅子シェフとして新しいステージを模索し続けている。

気がつけば北京やシンガポールにたどり着いたシェフたちもいる。なぜか、沖縄で家族経営の小さなイタリア料理店を始めた者もいる。それぞれの10年分の重みを感じながら、個々の紆余曲折に僕は想いを馳せる。そして、彼らが歩んだすべての道のりを肯定してあげたいという気持ちが読後に訪れるのだ。

問題、障害を耐え忍び

10年前に取材したシェフたちに、当時の井川が尋ねた「10年後」の夢。その想像通りに進んでいる者はほとんどいない。だが、それでいいじゃないか。それがいいじゃないか。料理の悩みだけでなく、経営難や健康の問題など、次々とやってくる想定外のできごとにシェフたちは何とか耐え忍ぶ。そして、つねに足りない自身を痛感しつつ、彼らは自分なりの料理を求め「つづける」のだ。

「求める者に、道は拓ける」。あとがきで井川が記したこの一言は、まさにシェフたちの道程を照らすものだ。そして、グランメゾンだろうが、ささやかな小さな店だろうが、「つづける」覚悟を持った者たちの物語はすがすがしい。

思えば、僕もブックディレクターなぞという職業の会社を始め、今年で10年。苦労もしたし、会社が潰れる恐怖を抱くことも何度かあった。それでも結局、好きなものにしがみついて何とか生き抜いてやろうという気持ちでここまでやってきたわけだが、シェフたちの話は不思議と僕自身を奮い立たせた。そして、彼らの10年を一杯やりながらねぎらいたいなぁなどと思っていたら、僕自身の労苦と交わり不意に涙が出てきてしまったのだ。驚いたことに。

思えば、ここで紹介されている全てのシェフは1970年代生まれ。そして、僕も同世代だ。その時代に生まれた僕らはバブルも味わえず、就職先もなく、世の中から祝福された記憶がない世代とも言える。だからこそ、この本は「どっこい、そんなわれわれだって生きてます」という70年代生まれの応援歌のようにも思える。そして一方、同世代の僕らが身銭をきって彼らの料理を食べずして一体何を食べるのか?という気分にもなってくる。

本当は職業や年齢を超えてあらゆる働き「つづける」人に読んでほしい本。なのだけれど、今回はあえて1970年代生まれにより強く推すことにします。同世代人たちよ、ぜひ。

幅 允孝

『SANKEI EXPRESS』2015.3.24 に寄稿
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150324/exg1503241700006-n1.htm