ひがしちからの絵本『ぼくのかえりみち』を初めて読んだときの驚きは忘れられない。ひがしさんには申し訳ないけれど、「これは僕が描くべき絵本だ」と思ったのだ。
 『ぼくのかえりみち』の主人公そらくんは、黒いランドセルを背負って今日も小学校から帰る。だが、その日の彼はいつもとは違った決意を持って帰路についた。車道の端にある白い線の上だけ通って歩こうと決めたのだ。黒いアスファルト部分にはみ出してしまったら、アウト!そろりそろりと細い線の上を、綱渡りでもするように慎重に歩くそらくん。途中、横断歩道の白線部分を必死でジャンプしたり、白線を防ぐ三角コーンを器用に避けたりと、なんだか必死だぞ。まあ、大人の目線でみると「この子は一体なにをやってるのかな〜?」と不可思議に思えることだろう。だけど、当の本人は真剣そのもの。その落差が面白い。そして、いよいよそらくんの自宅近くまで到達したものの、急に白線が途切れてしまった!?家まではまだ数十メートル。果たして、そらくんはどうやってお家に帰るのか?
 話の骨子を少しだけ紹介すると、実にたわいのない話だ。けれど、初読で僕がものすごく驚いたのは、まったく同じことを自身の下校中にしていたからだ。愛知県津島市の田舎道。小学一年生は二時十分が下校時刻だった。「緑のおばさん」に手を振られ、校門から送り出された幅少年は、一人でそろりそろりと白線の上を歩く。二組の杉戸くんに
「よっちゃん、なにしとるの〜?」(当時は、こう呼ばれていました。恥ずかしい!)
と聞かれても、いかにも切羽詰まった表情で
「ちょっと...」
としか応えない僕。「君らにはわからんだろうが、こっちはこの白線歩きに命をかけておるのだよ」と心の中でつぶやき、ちょろりとだけ手を振り、自身のミッション・インポシッブルと向かい合っていた。
 ところが、ひがしちからの絵本によって、僕だけの秘密の遊びは白日のもとに晒されてしまった。「ひがしさん、言っちゃダメだって。折角、こっそりと楽しんでいたのに」とひとりごちていても仕方がない。試してみるつもりで何人かにこの絵本を紹介しました。すると、皆が口を揃えて言うのだ。
「ああ、白線歩き、やってましたね〜」。
 「あれ、あれれ?」。これって、僕とひがしさんだけの遊びじゃなかったの?皆が皆、こんなささやかな一人遊びに夢中になっていたの?なんだか悔しいのを通り過ぎて、僕は拍子抜けしてしまった。
 「僕だけのものだ」と思っていたことが、急に一般化された時に、人は「大人になる」という言葉を使いたがる。「あはは、幅くん。そうやって世の中の広さを知ることが、大人になるってことなのさ」なんて、誰かがしたり顔で僕に言っていた気がする。ああ、そうですよ、僕もずいぶん歳をとり、いらない肉も増えてきやした。けれど、当時の「唯一無二の思い出」を、「じつは皆が幼少期にやっていたこと」として忘却の彼方に押しやってもいいのかしらん?というと、多分そうでもないと僕は思う。
 あくまでも私見だが、だから「物語」があるのだ。物語が果たせる機能のひとつとして、「拠りどころ」をつくるという点があるはずだ。自身がどちらに向かって歩いているのかさえ何だかよくわからなくなってしまうことは誰もが経験するだろう。そんな時に、自分の背骨がどこにあるのかを思い出すための方位磁石みたいなもの。それが皆で共有できる「物語」なのではないか。そして、それが見つけられると、長い道中すこしは気楽になるかもしれない。
 自身が六年間も毎日同じ道を歩いた小学校の通学路。そこで僕は、今となってはよくわからない遊びをたくさんしていた。じゃんけんで負けた者が、次の電信柱まで皆のランドセルを持って歩く大会。山崎さん家のザクロが落ちてくるのをひたすら待ち続ける大会。用水路に落ちていたゴムボールに石をぶつける大会。用水路に落ちていた自転車を無理やり引き上げる大会(用水路ネタ多し)。なんでも「大会化」しすぎだったなあ、僕の少年時代は。
 「子どもは遊びの天才」なんてよくいうけれど、最早遊ぼうとすら意識していなかったのではないかと今では思う。そこにあった何かで自然に楽しく過ごす時間。過ぎてしまう時間。でも、遊びとはそういうものなのだ。不意に思いつき、必死で試み、ちょっと満足して、でもなんだか悔しく、そして次の遊びを思いついたら平気で忘れてしまうようなもの。そして、そんなささやかな時間の積み重ねだけが、自身の背骨を形づくり、その位置を教えてくれるのだ。それを喚起する「物語」に出会いさえすれば。
 ちなみに『ぼくのかえりみち』の主人公そらくんと同じ壁に少年幅もぶちあたることが多々あった。どうジャンプしても何十メートルも先の白線に届かないのだ。そんな時は、持っていた学校の黄色い傘でセルゲイ・ブブカ風棒高跳びジャンプ(のふり)。もしくは、当時一世を風靡したカール・ルイスの走り幅跳びのように空中で何歩も歩くようにして大ジャンプ(のふり)をしていたなぁ。あらら、時代がわかっちゃいますね。

飛ぶ教室 2015 SPRING(2015年4月15日発売)に寄稿