昨年、人間ドックにいって1年ぶりに体重計に乗ったら、2.8キロ太っていた。1年間の不摂生をやっと実感する瞬間だ。もっと頻繁に体重の計測をしろ! という声が聞こえてくる。はいはい、確かに、そうでございます。けれど、見たくないものを遠ざけて、遠ざけて、それでやっと、このストレス過多の世の中を渡っていけるのだ!と言い訳のひとつでもさせてください。

原因は、はっきりしている。僕の場合は圧倒的に外食が多い。そして、飲酒量は健康診断で注意喚起されるくらいのレベルだ。ビール、ワイン、日本酒、蒸留酒、なんでもござれ。その宵にいちばん似つかわしいお酒を自問自答しながら、おいしいごはんを食べること以上の幸せはない気がする。

それは言いかえると、自宅で調理をする機会がほとんどないということだ。男の厨房(ちゅうぼう)といえば、かつては檀一雄(だん・かずお)や水上勉(みずかみ・つとむ)。いまは谷原章介(たにはら・しょうすけ)? たしかに料理をする男は粋だとも思う。けれど、どうしても日々台所に向かう習慣がない僕は、たまにつくる男料理(材料費などに気を使わず、こだわるだけこだわってつくるお祭りのような料理。ちなみに後片付けのこともあまり気にしていない)が限界。毎日のことを考えた台所仕事とは縁がないものだと思っていた。

調理者との程よい距離感

そんな僕が偶然手に取った本が『長尾智子の毎日を変える料理』だった。ぱらぱらと数ページをめくり、まえがきも飛ばして1章のタイトルが目に入ったのだが、「おいしい酒の肴は、毎日のおかずに、明日のお弁当にも」と書いてあった。おや、この人は酒呑みにも優しい人なのだろうか? 仲間だろうか? それが僕の第一印象だった。

実際の彼女は呑兵衛ということもなく、ちびりちびりと一杯程度ということが『長尾智子の料理1、2、3』というエッセーを読んで明らかになったのだが、なにせ「酒に合うものを作ると、たいてい、おかずにしてもおいしい」といってくれる人だ。勝手にシンパシーを感じ、試しにと彼女のレシピにある酒のつまみを試してみた。月に1、2回くらいだけれど。

まずは「おつまみとおかず」の1章から、「トマトとパプリカの目玉焼き」や「たらのスクランブルエッグ」に挑戦。すると、挑戦と書いたものの何ともあっけなく簡単に酒の肴ができてしまった。しかも、うまい。自分でつくった料理というのは悪くないものだ。存外うまく進んだことにすっかり調子をよくした僕は、いくつかのレシピを続けてためしてみた(僕は「たこのスモーク風味」が十八番になりました。結局、肴ばかりですね)。

ちなみに彼女のレシピが使いやすいと思えるのは、程よい距離感が調理者との間にあるところだろうか。先ほどのスクランブルエッグはわずか2つの行程で料理を説明する一方、「手開き」が必要になる「いわしのレモンマリネ」は、8枚の写真付きで「いわしの手開き」を細かく解説してくれる。絶対に押さえなきゃいけないところはきちんと。作り手の想像に委ねられる部分はさらりと。その緩急や距離感が「先生!」といった偉そうな感じでもなく、料理上手の「おばあちゃん」風でもない。何だかうまくいえないが、親戚のきれいなお姉さんという感じだろうか(あくまでも幅の感想です)。

自作の一品でよりおいしい食卓

そんな長尾の最新刊『あなたの料理がいちばんおいしい』(3)が出版されたので、手に取ってみた。僕が持っている他の長尾本と比べてみると、日々の食事を大切にしながら、より現実を捉えている気がする。

例えば、お店の総菜に関するエッセーで、彼女はこう読者に語りかける。「ちょっと待った、そこのあなた。煮魚は買ってもいいけど、おひたしは作ろう。せめて、副菜になるおかず作りを習慣にしよう」。疲れて帰る道すがら、誰だって家での料理を面倒くさく感じてしまうことはあるだろう。そして、そんな弱気の虫を誰かに糾弾されたら僕らは謝るしかない。今日も出来合いの総菜で、すみません。もちろん皆わかっているのだ。家で自分が作ったものの方が、おいしくて体によいことも。けれど、理想通りにはなかなかいかないもの。そんな時、長尾はこの本で、もう一歩階段を下りてきて手を差し伸べてくれる。ダメな僕らを承認しつつ、どうしたら食卓に一品だけでも自作の料理が並ぶのかを一緒に考えてくれる。続くページでは、こんな長尾のレシピが並ぶ。グリル長ネギやあぶりきのこのオイルマリネ。カリフラワーやミニトマトの甘酢漬け。そうか、これなら冷蔵庫で保存もきくし、なんとかなるかもしれない。

食卓に、慣れた自作の一品だけでもあれば、やはりそれが最もおいしく感じられるだろう。その感触に自身の体が素直にうなずくことができれば、自作の数がもう一皿、もう一皿と増えていくかもしれない。料理に向かいたくなる気持ちも一緒にかたち作る。そして、自分の頭や勘を働かせて食卓を考えれば、やがて料理が苦痛や面倒ごとではなく、楽しみに変わる。長尾はそう語りかけながら、85のレシピと10のエッセーを届けてくれた。

さて、最後に僕の家の冷蔵庫の話だが、ガラスの保存容器が入るようになり、きゅうりとセロリの甘酢漬けが初々しい新米顔でそこに並んでいる。正直、2、3週間に一度の作り置きだが、ちいさくとも偉大な一歩だと僕は声を大にしていいたい。少なくとも、僕は今年の人間ドックを少し心待ちにしているくらいなのだ。

幅 允孝

『SANKEI EXPRESS』2015.6.9 に寄稿
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150609/exg1506091645004-n1.htm