幅允孝は、
『あの路地をうろついているときに夢見たことは、ほぼ叶えている』を読んで今をどう愉しむのかを考える。

 森永博志の返事は早くて、潔い。「この仕事やってみないか?」と聞かれた彼は、間髪入れずに答えるのだ。「はい、やってみます」。
 この本の中で、彼が躊躇したのは一回だけ。それは、のちに伝説となる音楽雑誌『フォーライフ・マガジン』の創刊編集長を打診されたときのことだった。そのときだって、雑誌のエディトリアル・デザイナーに田名網敬一を迎えたいという条件が通れば、彼はいつもの通りだった。「わかりました。やります」。
 本書は、編集者の森永博志が始めて書いた自伝的小説。編集者という仕事が、当時いかに熱を帯びて愉快なものだったのかを証明するような物語だ。十代の後半の青年森永は世田谷インターからヒッチハイクし、京都まで旅する。破天荒なロード・ムーヴィの幕開けだ。静岡駅まで送ってくれたトラックの運ちゃんからサワラ漁の話を聞き、腹ではなく鼻先を狙うのだと教えられる。京都へ行けば、サンフランシスコからやってきた2人組のヒッピーにとびきりのプレゼントをもらう。そして、入門しようとしていた京都の禅寺妙心寺の門前で「未来」を感じ、仏門に背を向けてから彼の20代は始まったのだ。
 渋谷の南平台にあったコミューン「アップル」出入りするようになった森永は、偶然出会ったアートデレディレクター堀内誠一やADセンターのメンバーと雑誌『アンアン』の広告づくりに関わる。写真家の沢渡朔から誘われれば、トヨタカローラ・スプリンターのCMにも出る。泉谷しげるの写真集『百面相』の編集も二つ返事で「やります」と答えた。
 彼は、1970年代の濁流に巻き込まれ、そこをサーフしながら愉しんでいる。怒涛のような仕事がまた別の仕事を呼び、ロサンゼルスと原宿と成城と浅草と新宿ゴールデン街を縦横無尽に行き来する。そしていつしか彼はラジオのパーソナリティにもなっていた。NHK-FMの音楽番組「サウンドストリート」のパーソナリティだ。最初の放送日に彼がかけた曲はローリング・ストーンズの『黒くぬれ!』だった。
 彼の過ごした1970年代には必ずロックミュージックの通奏低音が流れていた。何かに抗いながら、腹(メインストリーム)ではなく鼻先(最先端)に狙いをつける森永。常に脱皮を繰り返しながら、編集者は何者にだってなれるのだと読者に語りかける。新しい潮流を生み出していくには、仕事の依頼に対して「検討します...」などという猶予はない。即決、即行動。それが、1970年代の流儀だった。
 一方で、現代の読者はその時代を懐かしむようではいけない。「あのときは時代がよかった」というのは言い訳に過ぎないことを森永は教えてくれる。時代が何かを運んでくるのではなく、新しくで熱い息吹は人が自力で運んでくるものだ。
きっと今の時代だって、十分愉しく踊れるはずだと森永は僕らに語りかける。

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『あの路地をうろついているときに夢見たことは、ほぼ叶えている』
(森永博志著/PARCO出版、1,600円+税)

ケトル vol.25 June 2015に寄稿