ケトル 幅允孝は『日常』の先に期待する

 『日常』が終わってしまったのだが、あまり終わったという気もしない。それは2006年から10年もの間『月刊少年エース』にて連載していた、あらゐけいいちの漫画のことである。群馬県にある時定高校の生徒たちとその周辺の人々を描いたギャグ漫画『日常』。面白さのポイントは、その牧歌的な設定と、実際におこるドタバタ劇との落差にある。
 なんということなのない平和な町の、普通の学校に通う女の子たちが「スラマッパギ」とマレー語で挨拶を交わす。背中に大きなねじ回しがついた女子高生が、じつは8歳児のつくり出したロボットだという。登校中に空からこけしと赤べこと鮭が降ってくる。うん、じつに突拍子がない。
 ことの始発点は極めて普通なのだ。登校中の会話だったり、学校の自販機の前でお金を落としたことだったり、「焼きそば」と「焼きさば」を聞き違えたり、好きな先輩が誰かと腕組み歩くところを廊下で偶然見かけたり。高校生たちのよくある日常から物語は始まるのに、いつも『日常』はくすりと笑えることが起こり、時に腹を抱えて爆笑してしまうぶっとんだ状況が訪れる。その落差とうねりに僕は夢中だったのである。
 『サザエさん』から『あずまんが大王』まで、「日常系」と呼ばれる漫画の系譜は連綿と続いているが、あらゐけいいちの『日常』は独特の立ち位置をもつ。基本的には、日常から非日常へのジャンプを描く漫画である。読んでほっこりする平熱のストーリーもあれば、飛ばしまくって読者の想像力が追いつかない高熱の回もある。『日常』を名乗りながら、少しはらはらしてしまうところが魅力だし、一方で決して最後は嫌なオチ方をしない安心感は確かにある。そのバランス感覚が、唯一無二なのだろう。
 キャラクターもみな体を張っている点がよい。究極のうっかり主人公 相生祐子が元気に壊れてくれるのはもちろん、BL好き腐女子予備軍の長野原みおのキャラクター造形を逸脱した激昂つっこみなどは、眼を見張るものがある。唯一の優等生キャラである水上麻衣も、天才的な8歳児はかせも、初心なロボット女子高生 東雲なのも、皆公平に読者への笑いに加担するのだから、どこからその可笑しさがこみ上げてくるのかわからない面白さがある。
 2011年3月に起こった東日本大震災の直後に発売した「月刊少年エース5月号」でも、『日常』は「日常の107 やさしさモーメント」と題し、いつもの漫画を描き切った。エレベータでの一コマやエアバッグとエコバッグの違いをギャグにし、未曾有の非日常時に『日常』を描く矜持を示した。
 永遠に続く学園祭前日(つまり非日常)の打破を描いたのは、押井守の映画『うる星やつら ビューティフルドリーマー』だが、時計の針を進める覚悟というのは並大抵のものではない。震災でもぶれぬ、強固な日常の世界を描いていたあらゐが『日常』をなぜ終わらせたのかを知る由もない。が、この先、あらゐが描く大きな物語に期待を寄せたいと個人的には思っている。

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『日常』(あらゐけいいち/KADOKAWA、1〜3巻=583円、4〜9巻=605円、10巻=626円)


ケトル vol.30 April 2016に寄稿