フットボール批評「ボールは跳ねるよ、どこまでも。」 第1回 ペップ・グアルディオラと岡潔

読者の皆さん、数学は好きですか? 僕はずっと苦手だと思っていたのだけれど、最近それが面白いと感じています。
 今シーズン、マンチェスター・シティの監督に就任したペップ・グアルディオラは、さっそくイングランドでも独自の戦術を展開中。PL開幕戦でもサニャやクリシーといったSBをボランチの位置に移動させ、相手のプレスをかわしながら、両サイドの武器であるスターリングやノリートへスムーズなパス供給を行っていた。もちろん、バイエルンミュンヘンとシティはまったく違う選手によって構成されているチーム。しかし、既存の戦術理論を越えた有機的なチームづくりの実験を眺める気持ちになれば、ファンでなくとも興味深く観測できる対象になるだろう。
 西部謙司の人気シリーズ『戦術リストランテⅣ』の第1章には、そんなペップの戦術をめぐる冒険が描かれているが、本の帯にはこんな言葉が記してあった。「フォーメーションは電話番号に過ぎない」。
 4-2-3-1や4-4-1-1など、フィールド上で起こっている選手たちの運動をなんとか理解し、伝達しようとして僕らはサッカーの戦術を数字で認識している。ところが、ペップが率いたバイエルンのフォーメーション図を数字化しようとすると、歴戦のベテラン記者たちであったとしても翌日の新聞には、4-3-3や3-3-1-3など、まったく違った数字を並べてしまう。ゲームの最中にフォーメーションが流動するのは当然だが、それを一つの数字で括ることに限界があると示す分かりやすい例である。そして、そんな括り切れない数について考えていた時、ふと思い出したのが日本人の数学者、岡 潔という男だ。
 1901年生まれの岡は、「本来の数学は、頭でするのではなく『情緒』こそがその中心である」という言葉を残した人。数字が苦手という人にとっては、数学なんてたった一つの答えを求める冷たくて論理的な世界だと思っているかもしれないが、この岡がいう「数学は情緒だ」というアプローチはちょっと変わっていると感じるはずだ。
  岡潔については、若干31歳の数学者、森田真生が今年編纂した『数学する人生』と森田の自著『数学する身体』に詳しい。岡は、若かりし頃から「計算も論理もない数学がしたい」と言い、どこの研究室にも属せず在野で(つまり無職で)数学の研究を行った。そして、和歌山県紀見村の実家にある家財や土地を売りながら田畑を耕し、黙々と数字や数式と向き合う内に、他の数学者では辿り着かない境地に到達した人である。
 岡の証明した多変数解析関数の成果は数学界で世界的に評価されているのだが、彼の面白さはその思考過程にあると僕は思う。岡は言うのだ。「まずは身体的直感があり、それを育て発展させていくために計算や論理が出てくる」と。そして、計算・論理に先立って数学を支えている実感を「情緒」と呼び、数学を血の通った温かいものとしてとらえたのだ。
 漢数字の「一、二、三、四」や、「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ」というローマ数字を思い浮かべて欲しい。「1〜3」が何かをそのまま並べている形として数字がデザインされているのに対し、ほとんどの文明で「4」以降が別の造形になっている。これは、人間の認知が「1〜3」位までは数を直感できるが、それ以降は難しいということを証明しているのだが、もっと直接的にいうと人の体は数学に向いていないということになる。そして、本来は数学するのに不都合な脳や体だからこそ、数学的な思考というのはいとも簡単に身体の外へ漏れ出す。数字は流れ、溢れ、染み出すのだ。
 個々にあてがわれる携帯番号に意味を求める人はいないのと同じように、サッカーの戦術を表現する数字にも最終的には意味はないのかもしれない。けれど、ペップがサッカーの戦術を用いて表現していることは、既存の戦術論から漏れ出しているのは間違いない。数字が身体を括り切れないのと同じように、とびきりの矛盾と可能性を孕んだ「数字で括れないペップのサッカー」は、美術や音楽や数学と同じように楽しめる類のものかもしれない。今シーズンの大きな見どころと期待しましょう。

images.jpeg

『戦術リストランテ』(西部謙司著/ソル・メディア、1,620円)

images-2.jpeg

『数学する人生』(岡潔著/新潮社、1,944円)

339651_l.jpg

『数学する身体』(森田真生著/新潮社、1,728円)

フットボール批評 issue13 Oct 2016に寄稿