羽田空港から12時間程のフライトする直前、手持ちの本を読み終えてしまった。これはまずい、と空港の書店で偶然手に取った1冊が『いま世界の哲学者が考えていること』だった。
 「現代思想」といわれるものが熱を帯び、ファッションや音楽や芸術に対する興味と同列に並んでいた1980年代。「ニューアカ・ブーム」と呼ばれたムーブメントを少し後から追いかけていた世代の僕は、(解らないなりに)必死で浅田彰を読んだ。『構造と力』や『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』に食らいついた。読めばモテると思った。
 その結果は(モテるか否かという点において)惨憺たるものだったけれど、おかげで「哲学は難解な過去の遺物」というステレオタイプから距離を取ることができたように思う。哲学は、奇妙な熱と不確かだけど実在する微妙な手応えを感じることができる学問だと思えるようになった。
 いつしか時代が過ぎ、哲学=人生論になってしまったのは、アマゾンの「人文・思想」ランキングをみれば明らかだろう。D.カーネギーの『人を動かす』やナポレオン・ヒルが長年のベストセラーとして君臨しているその様子は(それらの本の良し悪しというより)哲学と自己啓発やコミュニケーション論の境界が曖昧になっている結果だ。
 しかし、本書の著者である岡崎祐一朗は、そんな哲学の誤解をひもとくところからスタートする。哲学は、現在進行形で感じることができるものだと力説し、哲学説研究の先にある現実との格闘こそが哲学者の仕事なのだと語る。
 この本では具体的に、ITやBT、資本主義、宗教、環境の現在と未来について、哲学という分野からどんなアプローチが可能かを、とにかく分かりやすく伝える。現代の哲学者の紹介にはイラストを使い、章ごとにブックガイドまで付随している親切設計。もちろん歯応えのある哲学理論を望む方には物足りないかもしれないが、少なくとも毎日僕らが目にする諸問題を考えるガソリンとして哲学が有用だということはひしひしと伝わる。
 なかでも3章の「バイオテクノロジーは『人間』をどこへ導くのか」は実に興味深い。人間の遺伝子組み換えが技術的に可能となり、「ポストヒューマン」の時代が訪れたとき、老化や死が実際に克服可能な事柄として迫ってくる。そんな中、ソクラテスの時代から「ただ生きることではなく、よく生きること」を考え続けてきた哲学者たちは、生死の概念変更をどうとらえるのだろうか? 
 最新の科学に寄り添いながら、哲学との新しい付き合い方を提示する本書。それが一般書として空港の書店に並んでいたことに哲学がこれから向かおうとする方向が示唆されている。ちなみに、長いフライト後にドイツに辿り着いた僕は、すっかり哲学頭になってしまっており、早速本書で紹介されていたマルクス・ガブリエル(弱冠29歳でボン大学哲学科主任教授になった天才哲学者といわれている)とスラヴォイ・ジジェクの共著『神話、狂気、哄笑』を買ってしまった。個人的には、NEW「ニューアカ・ブーム」、再来の予感である。


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『いま世界の哲学者が考えていること』(岡本裕一朗著/ダイヤモンド社、1,728円)

ケトル vol.36 April 2017に寄稿