フットボール批評「ボールは跳ねるよ、どこまでも。」 第7回 梅崎司『15歳』

江國香織の小説で『思いわずらうことなく愉しく生きよ』という作品がある。「カレ、夫、男友達」というタイトルでTVドラマ化もされたから、知っている方も何人かはいるかもしれない。
 この小説のタイトルである「思いわずらうことなく愉しく生きる」ことを家訓として課せられた犬山家三姉妹の物語。当然のように、言葉通り健やかで自由な人生が簡単に送れるわけではない。
 奔放な愛に生きるキャリアウーマンの次女。一方、事務職の三女は恋愛なんて信じておらず、いつも一歩引いた場所から人間関係を見つめている。そして、唯一の既婚者である長女は「理由ある」暴力を振るう夫との共依存関係から抜け出すことができずにいる。
 このDV問題が親族の間で表面化することで、物語は緊張と共に新しい人間関係を掘削していく。三姉妹(+母)の誰もが自分にとっての健全さや正直さを貫こうとするほど、ままならない状況に陥ってしまう。それは、彼女たちの向こう側にそれぞれの男たちがいるからだ。
 さて、紙面には似つかわしくない恋愛小説の紹介で始まった今回のコラムだが、紹介したい本は梅崎司の『15歳 サッカーで生きると誓った日』である。実はこの本、数多あるサッカー選手のバイオグラフィーとは一線を画し、梅崎の実父の激しいDVシーンから幕をあける。
 少し開いた風呂場のドアを覗き込むと、そこには母の髪をつかむ父がいる。そして、湯の張られた浴槽に何度も母の顔を沈ませるのだ。そんな景色を保育園時代から梅崎は目撃してきたという。
 父の暴力はエスカレートし、場所や状況を選ばなくなる。島原鉄道の列車の音や赤ん坊だった弟の泣き声が、母を叩く音を遮ってくれたことで安心したという少年の心境は想像を絶するものがある。異様な日々。
 しかしながら、小学校に入りたてのとき偶然手にしたサッカーボールが梅崎の日常の光となった。真冬の家出事件やいじめなど、度重なる苦境もサッカーにのめり込むことで何とか超えていく梅崎。やがて中学3年になった彼はいつものようにぐちゃぐちゃになった台所でうずくまり泣き続ける母にこう告げるのだった。「お母さん、もうこの家を出よう」。
 タイトルにある15歳の決意とは、サッカーのプロとして一家を支える覚悟を決めた日のことを指す。その後、大分トリニータを経て、グルノーブル、浦和レッズで過ごす選手生活の背景にこのような悲壮な思いがあったことは誰も知らなかったことだろう。
 この本の後半では、結婚して自身が父親になった梅崎の心境が描かれる。当然のことながら、実父のことを未だに許せないでいる梅崎だが、大人の男同志として少しずつその距離が近づいてくる様も興味深い。できることなら、父の言い分と当時の母の心持ちまでも掘り起こすことができたら、より切実なノンフィクション作品になったように思う。
 ずっと若手だと思っていたがいつの間にか30歳を迎えた梅崎は、二度目の前十字靭帯損傷からも復活し、ACL優勝のピッチにも僅かな時間だが立つことができた。あとは、「思いわずらうことなく愉しく」サッカーができることによって、「怖さが足りない」選手になってしまったという盟友・西川周作の言葉通り、ルーキーのようなギラギラしたプレイを来季に期待したい。

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『15歳 サッカーで生きると誓った日』(梅崎司/東邦出版、1,620円)

フットボール批評 issue19 Mar 2018に寄稿